過酷な日
6/26日、最近では最も過酷な一日でした。
前日、兵庫から戻ってすぐに焙煎。ケニア、タンザニアの2回したので、床に就いたのは1:30分を過ぎていました。
翌27日は5:30分に起きて講義の準備。と言っても忘れ物がないか確認するぐらいですが。
7:00分に大学へ向かう。
途中渋滞に巻き込まれ教室に入ったのが9:30分でした。
学生はほぼ全員顔を揃えていました。
この日は午前中4年生課題の講評と大学院生の特別講義、午後は3年生の課題講評日です。
講評と講義が3つまとまってしまった。
「デジタル一眼レフカメラを使って60秒の動画を作りなさい」
が4年生に提出した課題です。
作品のテーマは自由。ただし、「自分が本当に興味を持った」ものを被写体にしなさい、です。
もちろん全員動画を撮るのは初めて。そもそも、グラフィックデザイン科なので、ほとんどの学生が大学へ入ってから、本格的に写真を始めた。僕の授業をとってからまだ1年半です。素材になる動画を撮影して編集するというのは、そう簡単にはできない。しかし現在は、デジタルが進歩してきたので技術レベルでは、それほど難しいことではなくなった。
一人ずつ作品を観ながら感想を言う。
まず初めに、出来上がりのイメージを持つことが肝要です。
ワンカットでもいいから、好きな映像をイメージの中で作り上げるのです。
10:30分から大学院生を対象に特別講義を始める。4年生でまだ講評を受けてない学生は昼休みにまわす。
今年は「顔」について、僕が常日頃思っていることを話す。
学科を超えた院の聴講生が40人ぐらい。
初めに僕の1歳の誕生日に撮った写真を見せる。
父親が撮ったと聞いている僕の赤ん坊の時の写真だ。
この写真の人物は誰だ?解った人は?と問いかける。
毎年「顔」についての授業でやっていることです。しばらくすると数人の学生が手を挙げる。
同じように小学生の頃、中学生の頃の写真を見る頃には殆どの学生が理解する。
何故解ったの?
65年前に写された僕の写真を見て、写っている人物を当てた決め手は何でしょうか。考えてみてください。60年以上の年月を経ても変わらない特徴を見つけているのですね。それって凄いことじゃないですか。1歳と66歳の顔から、共通するものを読み取ったわけです。
「面影がある」って言いますけど、その「面影」って何ですか?
「顔」と「面」の違いは?
親子や兄弟姉妹で似ているのは、顔の部分ですか?
「顔」の部分が似ていても、何だかまったく違う人物に感じてしまうこともある。
他人の空似ってこともある。
どうやら私たちが「顔」から読み取っているのは、表情だけではないみたいです。
何故「能」を演じる際に「面」を着けるのでしょう。
「無表情」って表情が無いのですか? そうだとしたら、その顔に現れてるのは何ですか?
写真が発明された当初はレンズも暗く、感光乳剤の感度も低いので、ポートレートを撮る時には露光時間を数分間もかけて撮影していました。
現在はレンズも明るくなり、ましてやデジタルになってからは、1000分の1、2000分の1秒という高速シャッターで撮影することが可能です。
では、人物の顔を撮影する際に2分間かけて撮った写真と2000分の1秒で撮った写真とは同じ顔が写ってるのでしょうか?
「顔」について普段から思っていることを話し、そして最後に私の母の顔写真を見せた。
生きている時、死の直前、死の直後、それぞれの顔写真を見せて、そこから読みとれるものは何だろう、と問いかける。
昼の時間がきて大学院の講義が終了。
すぐに廊下で待機していた4年生が入ってきて昼休みの講評の続きを始める。
助手の上原が「先生、何か飲み物でも買ってきましょうか?」と気を使ってくれる。
1時間の昼休みを使ってもまだ講評は終わらない。
1時から3年生が教室に入ってくる。
3年生に提案した課題は「豆腐、角砂糖、卵を使って、情熱を表現しなさい」です。
4月から6月まで、みっちりライティングの授業をしてきました。
その覚えた技術を駆使して、自分なりの情熱を写真にぶつける。
唐突な課題ですが、不思議なくらい面白い写真が出てきます。
3時間半の講評。午前中から連続で6時間話っぱなし。
3年生全員の講評を終えた後、引き続き、残った4年生の作品を観ました。
全員の講評を終えたのが、20:30分。
朝の9:30分から20:30分までずーっと話っぱなしです。
さすがに疲れました。
この日はそのまま筑波山の麓にある旅館へ向けて出発。
自分が運転して到着したのが23:00分を少し過ぎていました。
よくまあ、たどり着きました。