「滝」の行方。
今年もあとわずかになってきました。
このところずっと暗室に入っています。来年1/1日から鎌倉「GALLERY B」で開催する作品展の準備に追われています。
今回展示する写真は「滝」です。主に撮影したのは2003年ですが、前後数年間は「滝」の魅力に心を奪われて、全国を巡って撮り続けていました。名漠として有名なものもあれば、それほど知られてはいないけど好きになってしまい、何度も通い続けた「滝」もあります。
「滝」の何がそれほど魅力的なのでしょう。今回の展示に際して書いた「まえがき」を載せます。
<「滝」を目指して山中を歩いて行くと、まず先に流れ落ちる水音が聴こえてきます。近づくにしたがって遠かった水音は轟音に変わり、ついに姿を現した時の感激は何度経験しても新鮮です。
物凄い勢いで岩壁を流れ落ちる水の姿は、ただ目の前に存在しているリアリズムでは表現しきれません。「滝」を見つめていると、畏怖する気持ちと官能とが同時に立ち現れるような不思議な感覚に襲われるのです。>
以上まえがきのために書いた文章ですが、この先を書いてみます。
「滝」の写真というとほとんどが「滝」を風景として見ています。僕はもう少し近づいて、水の姿、水の様態をつぶさに見つめてみたいと思いました。まだデジタルカメラの機能が現在ほど発達していなかったので、フィルム中判カメラを使い、シャッタースピードを速く切るために感度が高いモノクロフィルムにしました。焦点距離800mmの望遠レンズは、落下する水の姿を克明に捉え、肉眼では見ることが出来なかった動態を正確に写しています。さらに克明に見るために、一つの「滝」を6等分から7等分に分断して撮影しました。落下する水の中に分け入るような感覚です。そうして展示の際に一つの完成した姿に見えるよう考えました。
この方法で撮影した「滝」の作品は、2004年に銀座資生堂ギャラリーで発表しました。撮影を始めてからは10年近い時間が過ぎました。現在、僕の「滝」に対する関心は、少しずつ変化しています。「正確に見る」から「よく見えない」に関心が移ってきています。こうして文字にしてみると、随分大きく変わっているように思えますね。
「正確に見る」ためにはカメラの機能が必要です。忠実に行おうとすればするほど、それは肉眼から離れてレンズが見た「滝」なのです。
もう一度、肉眼で見ようと思いました。すると「よく見えない」のです。
近眼や老眼だから「よく見えない」のではありませんよ。肉眼はレンズと比較すると、どうも不正確で曖昧です。その曖昧さから出発したのが今回の作品でした。
「よく見えない」状態になったとしたら、どんなふうになると思いますか?
僕はどんどんイメージの世界に入り込んで行きました。
轟音と共に落下する「よく見えない」水を見つめながら、じっと座っていた結果出来たのが今回の作品です。
「滝」の行方。
展が始まります。