アマチュア写真

一昨日、カフェの開店準備をしていたら、若い男性に声をかけられました。「写真を見ていただきたい」というのです。
今までにも、時々写真を抱えて訪ねて来る方がいます。時間の都合がつく限り、作品を見るようにしています。

僕は現在、多摩美術大学で学生に写真を教えています。それに今年の新年号から写真雑誌『日本カメラ 』でアマチュア写真家が投稿してくる写真の選者をしています。今までは若い人やアマチュアが作る写真にそれほど興味がなかったのですが、というより、自分が興味あることを実践するだけで充分だったので、他のことに関わりたいと思わなかったのです。それがここ数年、少し考えが変わってきました。

僕は写真家としてデビューしてから41年が過ぎました。振り返ると、やはりデジタルカメラの普及が、写真を大きく変えたようです。撮影した画像をデータとして素材化する概念はもちろんですが、生活の中での写真の位置がとても身近になりました。カメラ自体が小型軽量化したことで、女性や高齢者、子供まで気軽に持つことができるようになり、複雑な撮影知識がなくても簡単に写真を撮ることができるようになったのです。
デジタル以前であれば、逆光の露出を正確に計測するには、ある程度の知識と経験を必要としました。現在、その面倒な技術はカメラが搭載している機能を使えば、カメラが勝手にやってくれます。デジタルカメラの使い方さえ覚えれば、どんな条件のシーンでも思うように撮ることができます。

写真が身近になった最も大きな原因は、費用がかからなくなったことです。フィルム時代なら、フィルムの費用はもちろんですが、現像、プリントとそれぞれかなりの費用を必要としました。
このお金がかからない、というのは写真が普及する上で最も大きな要因です。普及するだけでなく、写真に関わる人が圧倒的に増えてきたことで、写真表現が大きく変わる時期だと思っています。僕が大学や雑誌で、いわゆるアマチュアの写真家や写真家志望者に接したいと思ったのは、これからの写真は、アマチュアが大きな影響を及ぼすと考えているからです。

1945年以前にも、日本の写真界でアマチュアが大きな力を発揮していた時期がありました。「芸術写真」とか「新興写真」とか呼ばれていましたが、一部の経済的に余裕ある人たちの間で普及していった芸術表現です。一般のいわゆる市井の人たちの間で、写真が趣味です、なんていうのはとても無理でした。
戦争で一旦途切れた写真雑誌も、1946年以降、次々と復刊あるいは創刊し、「アサヒカメラ」「フォトアート」「日本カメラ」「カメラ毎日」「サンケイカメラ」などです。新聞社系の写真雑誌が多いのは、写真が新聞購読者層に合致していると新聞社が考えたからでしょう。つまりは写真が一般人に普及していくと予測していたのです。戦後、社会が復興していくに従い、予測どうりに写真も生活の一部に深く入り込んでいきましたが、生活と写真の密着度はデジタルが普及した現在とは比較になりません。今はとにかく写真が身近です。何かあれば何はともあれ、携帯を取り出して、あるいはデジタルカメラで写真を撮ります。

書いているうちに前置きがとても長くなりましたが、僕がアマチュア写真家に興味をもっているのは、彼等の内の一部の人達によって、閉塞している写真表現の地平を切り開いて行く可能性があると考えているからです。
僕が選者を担当している『日本カメラ』に投稿してくる写真の中には、これからの写真を予感させる作品があります。写真を撮る行為が、プロ写真家よりも日常化している人達が存在しているはずです。その人たちが撮る写真のすべてが面白いわけではありませんが、写真を撮るための視線が特別ではなくなった果てに現れて来る世界に興味があります。

今はアマチュア写真が面白いです。これからもっともっと面白くなる予感がします。
日本カメラ』月例投稿カラープリントのページを見てください。
僕が言ってることがわかると思います。

 

 

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