昨日の対談
昨日、スタイリストの高橋靖子さんに誘われて、表参道の本屋さん「山陽堂」の二階で対談を行った。靖子さん、通称ヤッコさんの著書『表参道のヤッコさん』が、河出書房新社より文庫化されるにあたって何か一緒に話を、ということでした。ヤッコさんというと、スタイリストの草分け、とか伝説のスタイリストなどと言われているらしいけど、僕にとっては現役バリバリのスタイリストです。文庫に記されてる履歴をあらためて見ると、70歳を超えていらっしゃる。まずは彼女の若さとバイタリティーに脱帽です。対談に誘われたのは嬉しいのですけど、今まで僕は表参道にあまり深く関わってこなかったので、お役に立てるかどうか心配でした。
ヤッコさんと最初に会ったのは、僕が写真家として独立したその年です。1971年に雑誌『anan』で、世界的に著名な服飾デザイナー、ザンドラ・ローズのページを組むことになり、その撮影のスタジオでした。もう今から40年以上も前ですから、僕の記憶も曖昧です。ザンドラ・ローズはヤッコさんが旧知のデザイナーでしたから、新人も新人、まだ写真家として3ヶ月しか経っていない僕のために、少しでも楽な気持ちで撮影を、ということだったのでしょう。『anan』編集者、椎根和さんの深い計らいですね。
世界的に著名なデザイナーとニューヨークだったかパリだったか忘れてしまいましたが、トップモデルを撮影するのですから、僕は相当緊張していたはずです。それなのによく覚えていない、というのはどういうことなんでしょう。ヤッコさんがおっしゃるには、「十文字さんは10分間で撮影を終わらせたのよ」だそうです。いくらなんでも洋服を変えて5カットを10分間で撮影するのは無理です。つまり、そのくらい素早く撮影したのですね。多分、どうしていいかよくわからなかったのかもしれません。ただ、今でもそうですが、僕の撮影は早いです。スッと始まって、いつの間にか終わってる、というのが理想です。
この時撮影した写真は、今見ても好きです。この場でアップできないのが残念ですが、ファッション写真として、いい線いってるのでは、と思っています。後年、ザンドラが自分の作品集を編む時に、この時撮影した僕の写真を使いたいと言ってきたので、ザンドラ本人も気に入ってくれたのではないかと思います。
対談でも話したのですが、この時、僕はまだ自分のカメラを持っていませんでした。それで、機材屋さんの「銀一カメラ」から、ハッセルブラッドを借りて撮影に臨みました。一つ覚えているのは、借りたカメラのボディに「銀一」のシールが貼ってあるのが恥ずかしくて、シールの上から黒いテープを重ねて貼ったのを懐かしく思い出されます。カメラも持っていない24歳の新人カメラマンに、こんな大切な仕事を頼むのだから、当時の編集者、椎根和さんは本当に凄いね。
ヤッコさんの話を書こうと思っていたら、違う話になってしまった。ヤッコさんのことはまた別の機会で書きます。