連休
当たり前に言い古されていることですが、あっという間に時間は過ぎ去っていきます。
前回のブログ書き込みは5/2日、ということは、もう13日も前なんですね。
歳もとるわけです。こんなに時間が早く進むのですから。
ちょっと古い話題ですが、この連休中はたいへん大勢の方が来られました。
喜ぶべきか、心配するべきか、なんとも言えませんが、お客様は、ギャラリーよりも圧倒的にカフェに来ました。
3日間は、席を確保するために、外に列が出来たくらいです。
驚きました。
コーヒーも写真に負けないぐらい必死に取り組んだので、一応の自信はあります。
コーヒーに対して自分なりのコンセプトをたて、その実現に向かって、毎晩焙煎をしていました。
ある日、僕がゴミ出しのために、外へ出たら、自宅の向かいにお住まいの高橋さんのご主人にばったり出会って、「毎晩、コーヒーを焙煎するいい香りがしています」と言われました。
そうなんです。仕事が終わって帰宅すると、それから深夜までコーヒーの研究をしています。
研究と言うのは大袈裟ですが、自分の好みの味の実現にあれこれ試していたのです。
試しは、いまだに続いています。
昨夜は、味はそのままで、口当たりの感触をもう少し柔らかくしてみたいと思って、いろいろ工夫していました。
しかし、まあ、多少の自信はありましたが、列を作ってまで飲みに来られるとは、驚き感激です。
と、同時に、いわゆる「アート」という奴は、市井の人々の普段の生活とは距離があるのだなあ、と思いました。当然と言えばそうかもしれませんが、コーヒーのほうがはるかに人気がありました。
最も、今回の僕の作品のせいでもあるのですが。
ギャラリーに訪れた人々の反響は、見ていておもしろいです。
入口からちょっと拝見、という軽いノリで来た人は、たいがい、「ギョッ」として、中にも入らずに早々に帰ります。
ちょっと興味を持つ方からは、撮影の技術的な方法について話してください、と言われます。
一口に説明するには、複雑です。
僕を知っているある方は、開館一番に駆けつけてこられて、「十文字さんが病気になって、顔が歪んだのかと思いましたよ」と真顔で言ってました。
DMに印刷されている僕の顔を見て心配してくれたのです。
すみません、そんなつもりではなかったのですが・・。
でも、じっくり眺めている方ももちろんいらっしゃいます。
作品から何かを感じる、と思われる人がたった一人でもいればいいんです。
と自分に言いきかせる毎日です。
先週、今週と、大学の授業日以外は、珍しく時間を作ってギャラリー、カフェにいました。
明日からまた撮影です。
長野県白馬へ行きます。
十文字 様
ご無沙汰しております。元P.G.I.の山崎です。
4月より、独立してphoto classic という会社を創りました。
鎌倉へ遊びに伺います。
本日、独立案内の連絡が届きました。
次の活動を楽しみにしています。
またいろいろご一緒したいですね。
ますますのご活躍を期待しています。
時間ある時にぜひ遊びに来てください。
本日、伺いました。
鎌倉は、25年ぶりです。
平日なのに人が多くて驚きました。
作品は、WEBでサワリは知っておりましたが、プリントされたものを拝見して、印象がかなり変りました。
PCモニターで観るカットは、正直、キモチ悪いのですが、銀粒子のマチエールによるものなのか、その大きさなのか、プリントされた作品はキモチ悪く無いのです。
キュビズムの絵画でも観ている様な感じで、数分もすると、これが自然な感じになってしまいます。ドクがまわってしまったのかもしれませんが、普通のポートレイトのように、こちらが観に行ったり、あちらから強引に来る感じが無くて、新境地でした。煩いどころか、静かでエレガントな印象を持ちました。
これに慣れると、普通のポートレイトが、情報の量で物足りなくなって来るかもしれません。情報量が多いのに、煩くない不思議な作品でした。こんな経験は、初めてです。
撮影法は分かりませんが、偶然性の伴う方法である、との記述もあり、大変興味を持ちました。
入り口の左の、眼鏡の男性、十文字さんの一連の作品、一番奥の女性の作品が好きです。
コーヒーも頂きましたが、オリジナルブレンドを堪能出来なかったのは、残念でした。
自分には東京は遠いので、次回の作品展も、鎌倉でお願いいたします。
写真は、「一瞬」を切り取って表現するものと考えてきましたが、はたしてそれだけではないかもしれない、と思い出したのが、この「FACE」の作品を撮り始めたきっかけです。1点の写真を撮るのに、だいたい30分ぐらいの時間がかかります。何分、何時間かけてもかまわないのですが、最近は時間の長さよりも、かすかな「動き」のほうに興味があります。かすかな、動いたか動かなかったか、わからないぐらい微細な変化を集積すると、少しだけ本質の方向へ行く気がします。「顔」のことでいうと、「一瞬」の表情を追いかけるよりも、ちょっとだけ複雑なものが写ります。多分、物理的な情報量は従来の写真と変わらないのですが、普通はあり得ない別々の動きが集まって「顔」らしきものになっているので、見ている方が「顔」に完成させてしまうのだと思います。絵画と決定的に違うのは、私がイメージする以前に、その「顔」はそこに存在していたということです。「静かでエレガントな印象を持ちました」と書かれてありますが、作者としては、たいへん嬉しい感想です。新しい「やる気」が湧いてきます。