「FACES II」展、オープン
4/16日、「FACES II」展がオープンしました。
何かを始める時には、いつもそうなのですがまたまた今回も同じ気持ちなりました。
それは、若い友人達に対する感謝の思いです。
考えてみたら、僕の友人は皆、僕より若い。何故か、年上の友人はいないと言っていいくらいです。その若い友人達が活躍してくれたのです。
今回の写真展は、スケジュール的にはとても厳しかった。理由は、事務所の引っ越しとまったく重なったからです。今まで使っていた世田谷の事務所の明け渡しが4/10日、そして、「FACES II」展初日が4/16日です。作品の撮影とプリント、そして、引っ越しの荷づくろいを同時進行で行わなければならなかったのです。
なにしろ、世田谷には20年居ましたから、荷物の量は半端ではありません。捨てた中味はほとんどが撮影で使ったモノ。以前、作品集『黄金風天人』のための写真を撮る際に作った実寸の美術品模型、『わび』の撮影に使った土壁、畳、行灯、ライティング機材、今までのポスターや車内吊りなどの印刷物、古いレンズ、何よりも、使われなかった夥しいフィルムの数々。捨てた荷物は合計で14tになりました。ジッツォの三脚だけで5本は処分しました。カメラケースも7〜8個は捨てました。
それほどあらゆるものを捨てたにも関わらず、気がつくと新事務所のギャラリーには、天井に届かんばかりの荷物の山で、床が見えないほどでした。これから展覧会をやらなければならいギャラリーの空間いっぱいに荷物の段ボールが山積みされたのです。
まだ、その時点で、展覧会に展示する新しい作品はプリントどころか撮影すらしていなかったのです。
普段、一緒に仕事をしている照明ディレクターの大坪さんが、フィルムをきちんと整理して運んでくれました。僕が撮影で留守をしている間に、せっせと運んでくれたそうです。奥様も助っ人で来てくれ、本当に助かりました。それからも、運び込まれたフィルムの山を、照明の中村さんと助手の山口君が二人で所定の場所へ運び上げ、特機の鵜沢さんは残った段ボールをまとめてくれました。僕が留守中に自主的に手伝ってくれたのです。彼らの協力がなければ、展覧会の開催は無理だったでしょう。
今回の展覧会に関して、無茶な話はまだあります。
作品のプリントが仕上がったのが、4/9日でしたから、額装のために残された日数は週末を外せば4日しかありません。最終的なかたちになって手元に仕上がってきたのは、オープン前日の15日でした。額装をお願いしたのは古くからお付き合いしている「フレームマン」さんです。
作品をギャラリーの壁に展示しているうちに、どうも気にいりません。湿気で、写真が、たわんできたのです。それを避けるためには、別紙で裏打ちしなければなりませんが、通常、オリジナルプリントには補強はしないのです。しかし、今回のプリントはサイズが大きいために、たわみの度合いが激しいのです。
結局、裏打ちを決心したのは、15日の午後になっていました。さあ、そこから、展示した写真を一旦外して、持ち帰ってやりなおしてもらうことになりました。もちろん、僕の依頼の仕方が悪かったのが原因です。とにもかくにも、なんとかオープンまでに間に合わせなければなりません。大急ぎで作品を持ち帰って、すべての写真に裏打ち完了したのが、当日の夜中0時を回っていたそうです。そして、最終的に展示が終了したのは、4/16日、11時オープンの1時間前でした。
本当に「フレームマン」さんには感謝しなければなりません。
あの状態からよく頑張ってくれました。
そのような隠されたわけもありつつ、昨日、4/17日に、無事、レセプションも終わりました。
芳名録に記帳された方だけで、当日160名の人が来られました。実際にはさらに多くの方が来られたのだと思います。
今日、いただいたお花を数えたら、55個ありました。
現在も、花で埋もれている状態です。
本当に嬉しいです。今回は特に嬉しいのです。