ハワイと『蘭の舟』
昨日、海外ロケから帰国。出発は23日でしたから、滞在は6日間。
1年ぶりに訪れたハワイでした。
ハワイは、僕の処女写真集『蘭の舟』の舞台でもありましたから、思い入れはひときわ強いものがあります。『蘭の舟』は、ハワイへ移民した日本人のポートレートと風景で構成した作品です。初版が3000部で現在は絶版ですから、数が少なくなっているのではないかと思います。それでも時々、古書店で見かけますし、ネットでも探せるので、まったく手に入らないわけではないですね。
実際に撮影をしていた期間は7年間ぐらいだったと思います。
当初は移民の歴史にも興味を持っていたので、彼らが持っていた古い写真を複写したりしていました。
自分が撮った写真と古い写真とで構成し、それにインタビューした言葉も入れながら分厚い本を作ろうと考えていたのです。ところが、実際に彼らを訪ねているうちに、歴史ではなく、一人一人と向き合おうという思いに変わっていきました。大きな括り方よりも、面と向かった時に感じたディテールを撮ってみたいと思ったのです。その時にしか表れない顔つき、しぐさ、光、場所の個性、僕に対する反応、などのあれこれです。「観察」が近い感覚かもしれません。個人と向き合う、という意思がないと見つけることができないものです。
歴史みたいな、時間の大きな流れを意識していると見過ごしてしまう些細なものです。しかし、確実にそこに在るあれこれです。また、それと同時に、彼らと出会った時に生まれる僕の心情を表現したくなり、風景写真に行き着きました。実際に感動した思いを写真に定着するにはどうしたらいいかを模索しているうちに、風景にたどりついたのです。ただし、目の前の現実風景をそのまま写すのではなく、色やトーンやフォーカスの位置を変える事によって、僕の心に映った風景に近づきたかったのです。もちろん、コンピューターみたいな便利なものはありませんから、ちょっとしたフィルターを自作しました。
心情にぴったり感じた風景に出会うと、三脚を立て、その場に腰を下ろし、あらかじめ日本で作ってきたガラス板を取り出し、レンズの前に装着して、ちょうど絵画を描くように、ガラスに色を重ねていくのです。インクは前もって実験済みのものを持っていきました。『蘭の舟』に掲載されている風景写真は、そうやって撮ったのです。
実におもしろい感覚でした。写真のような絵のような、現実のような夢のような、心に寄り添ったきれいな風景を残したいと思っていたのです。
僕が20代前半の、まだ、写真をやり始めたばかりの頃ですから、当時から現在まで、40年近い時間が過ぎ去ってしまいました。いつか、忘却する前に、あの頃の熱い想いを言葉に置き換えてみたい。
写真を撮り終わって、本の帯に、文章を書いていただく人は水上勉さんと決めていました。
当時、水上さんがたどってきた人生を知り、「社会派」と呼ばれていた頃に書かれた小説を読んで、僕が作る初めての本は、水上さんに文章をいただきたいと熱望していたのです。そして、図々しくも、全く面識がないにもかかわらず、当時、成城にあった水上さんのご自宅に押しかけたのです。抱えられるだけいっぱいの水仙の花束を抱いて。
その時の様子を今度、書きますね。