おわら「風の盆」の編集
9月5日「FACES」写真展のオープニングが終わった直後から、気持ちを「おわら・風の盆」の編集に切り替える。
全体の構成は時間軸に沿っての進行になるだろうと想像し、幾つかのプロットを考えた。
最も心が動いた場面は何かといえば、やはり夜中の「町流し」です。
富山県八尾は11の町から成り、今回の撮影はその中の鏡町、東町という2町を主に撮影しました。2町を選んだいきさつは、「越中おわら節保存会」を訪ねて行った時にお会いした古川部長が鏡町に住まわれていたことが大きな理由です。古川さんは三味線の名手であり、その折、同じく東町の三味線を代表する吉田さんにもお会いしました。今から思うと、鏡町、東町に集中できたのは幸運だったと思います。
「おわら」節は民謡でありますが、日々、少しずつ変化を遂げていってるように感じます。ベースになる音律は同じでも、それぞれの町が独自に研鑽を重ね、地方さんの弾き方、歌い手さんの節まわし、踊り手のふりなどに、各町独特の個性が現れています。八尾の人たちの「おわら」を愛する深い気持ちが、歌や踊りをさらなる深みへと向かわせ、各町それぞれに微妙な違いを生じさせているのでしょう。その中でも「鏡」「東」の2町はそれぞれ被写体として、ふさわしい個性を備えていました。具体的には完成した作品をご覧いただきたい。
以前、「おわら」の本領は夜中の「町流し」にあると書きましたが、撮影が終わった現在でもその感想はかわりません。そういえば「町流し」っていったい何ですか?と思われてる人に簡単に説明すると、八尾の地元の方たちが、自分たちの為に、気の向くままに、三味線と胡弓と歌い手の数人がひとつのグループになって、細い路地を選んでゆっくりと流して歩くことです。僕は、「町流し」について、もともとの発生理由を知りませんが、想像すると、近年あまりに多くなった観光客のために、心を込めて歌い流すことが出来なくなったことが原因ではないでしょうか。本当に「おわら」を好きな人たちが、一人、二人と自然発生的に始めたのが起こりだったと思います。八尾には、それほど「おわら」を好きで好きでたまらない人たちが多いのです。だから、観光客が帰った夜中の1時過ぎから集まって、ひっそりした路地を流し始めます。しかし、今は情報が行き渡って、夜中でもたくさんの観光客が残っていて、彼らは「町流し」の後をついて歩くのです。今回もあまりに観光客が多くて、僕も思ったような映像が撮れず、撮影を断念したことも何回かありました。
鏡町はもともと色町だったせいか、今でも路地に風情が残っていて、「町流し」の背景にはぴったりの環境です。今回の作品でいちばん表現したかったのは、「おわら節」の韻が生み出す哀切ある「余情」だったので、どうしても情感残る鏡町で撮影したかったのです。今、「余情」と書きましたが、考えてみると、本当に映像で表現したいのは「余情」の「余」の部分だと思います。いわゆる「情緒」といってしまうと当たり前すぎて、僕の思いを説明するには正確ではないような気がします。
9/1日の夜中、3時過ぎた頃でしょうか、東町の「町流し」を撮影し終わり、宿がある鏡町へ戻ったところ、かすかに「おわら節」を歌う声が聞こえてきました。それにつれて、三味線と胡弓の音色も風に乗って聞こえてきます。ゆっくり、ゆっくりと音が大きくなり、電灯のひかりが届かない黒々した闇の向こうから5人の地方さんの姿が現れました。
僕は初めて見る人たちでした。
まだ姿が見えない音だけの闇から撮り始め、段々と声が大きくなるにしたがって最初は少しずつ人が動く様子が感じられ、ファインダーの中に徐々に形を現す着物姿を見つけた時の感動は忘れがたいものがありました。
今回の作品は、その「町流し」をクライマックスに構成しました。
ここで内容をあまり説明してしまうと、興味ある方にとっての楽しみが薄れてしまうので、ぜひ出来上がった作品を観てください。現在は仮編集が終わった段階です。明日、本編集、明後日、MA(音録り)なので、完成はそれからです。