円山応挙の日記

空想の宙 静寂を叩く

現在銀座資生堂ギャラリーで開催している「空想の宙/静寂を叩く」展に、多くの方が来場されています。感謝の気持ちでいっぱいです。

令和3年ですから、今から3年前にある古美術市で円山応挙の日記が発見されました。新聞紙上でも記事になりましたから、ご存知の方も多くいらっしゃると思います。
日記に記述された日付は、天明8年(1788)から寛政2年(1790)までの約3年間です。この天明8年は応挙にとってのみならず、日本美術史にとっても重要な年と言えると思います。
年の初め、俗に言われる「天明の大火」があり、京都市街が燃えてしまったのです。応挙の自宅も失い、この時画室にあったであろう大乗寺のために描いた「松に孔雀図」も燃えてしまいました。

日記を読むと、応挙とその一門の絵師たちは火事の後、御所の修復造営に力を尽くしたことがわかります。したがって、今回の展覧会で展示した「松に孔雀図」は、8年後に描いたものなのです。

私にとって興味深い記述がありました。
応挙はこの天明8年の時にはすでに病気だったのです。
最晩年に健康を害したのではなく、「松に孔雀図」を描く以前から体調を悪くしていたらしい。

大乗寺客殿十三室はまさしく応挙一門による共同制作の成果だと思います。

9/21日(土)は2回目のギャラリーツアーです。当日の話の流れでは、この「応挙の日記」のことも触れたいと思います。


 

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