写真集『蘭の舟』に載せられなかった話

白馬

写真集『蘭の舟』に載せられなかった話もあります。以下はその内の一つです。

1977年にハワイ島でお会いしたのですが、今でも忘れられない方がいます。名をTさんとします。私が直接電話をかけてTさんと話し、面会のアポイントをとりました。
約束の時間に伺うとTさんは家の外で照りつける陽光を遮るように額に手をかざし睨みつけるように私をジーッと見つめています。何かを探るような脅しているような、他の人とは違う切羽詰まった雰囲気も感じました。
室内に入るとソファに老女が座り、部屋の隅に置いた段ボールの中に生まれたばかりの仔犬が寝ていました。Tさんは相変わらず私を見つめています。室内はなんとも言いようのない重たい空気が漂っていました。
ポツリポツリと語る彼の話を聞くうちに私を睨みつけていた理由がわかってきました。

1945年終戦直前にTさんはアメリカ軍の通訳として日本に上陸し、戦後も2年間横須賀で暮らしました。その間にある女性と知り合い、男の子が生まれたそうです。Tさんにどうしても帰らなければならない事情が発生し、悩みに悩んだ挙句、結局1947年彼女と生まれたばかりの男の子を日本に残してメインランドに帰国しました。
その日以来、Tさんは日本に残した女性と息子のことが頭から離れず、ハワイに移住しても罪の意識に苦しみながら生きてきたといいます。
私から電話を受けた時、そして私の姿を見た時についにこの日が来た、と覚悟を決めたそうです。日本へ置いてきた息子が自分を探し当て、殺しに来たと思ったと言うのです。
このまま黙って殺されようと。
確かに私の年齢はTさんの息子と同じくらいですが、まさかそのように思われたとは。
黙って私を見つめていた時のTさんの眼を今も覚えています。


 

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