宿愚連若衆艶姿(ヤサグレテアデスガタ)/パルコ広告/1980年」

宿愚連若衆艶姿/パルコ広告/1980年

ギャラリー展示作品の内

「宿愚連若衆艶姿/パルコ広告/1980年」

アートディレクター石岡瑛子さんからパルコの広告撮影の仕事がきた。
石岡さんはこの時点ですでにアイデアがあり、ニューヨーク在住のあるアーティストが作る被り物を使って広告を作りたい、だった。

後日、私を含めたスタッフがニューヨークへ到着すると、先乗りしていた石岡さんから被り物のスケッチを見せられた。豚や犬などを擬人化した動物の頭の被り物で、私はそれを見て面白いCMが出来るだろうと想像した。

ところが撮影本番二日前に、突然石岡さんから呼び出され「アーティストからキャンセルされた、この仕事は成立しないかも」と伝えられた。
本人から送られてきた手紙を見ると、そこには日本の企業に打撃を与える趣旨の内容が書かれていた。
続いて「十文字ならどうする?」と言われ、ご自分はトイレに閉じこもってしまった。

時々トイレから出て、部屋の中を歩きまわりながら国際電話でクライアントに事情を説明されていた。
「どうする?」と問われた私は、ニューヨークへ来てからのことを思い返していた。

イラストレーターペーター佐藤さんのアトリエにお邪魔した際、ペーターさんが友人の顔をポラロイドで撮り、メイクを施すように写真の上から部分着色していた。なかなか興味深かったので、私ならニューヨークの街に出て若者をスカウトし、これをやる、と話したらそれでいこうと石岡さんは即決された。
しかし、その後が面白い展開でした。
「これからニューヨークの街へモデルを探しに行くけど、十文字には無理だから撮影、交渉は地元のカメラマンに頼むわ」だった。
私は助手の部屋に電話して、今すぐ帰国するから直ちに荷物をまとめろ、と伝えた。

何故か理由はわからないが、結局再び撮影は私に頼む、に変更された。

その夜一晩中これはと思う若者に声をかけ、最終的にモデルになる被写体7人を選んだ。
次の日は撮影前日で休日だったが、助手の曽我尚弘君と二人でスタジオへ行き、夜までかけてライティングした。二日間、モデル捜し、オーディションとそれにライティングでほとんど眠らずに準備したのだが、本番はライティングしたホリゾントを使わなかった。
7人揃った若者達を見たら、白いホリゾントよりも建物の壁の前に立ってる方が似合うと思った。

今だから言えるのだろうが、この広告は二日間で作ったのだ。

AD→石岡瑛子、Makeup→ペーター佐藤、C→小野田隆雄、


 

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