涙よ、止まれよ。
午後12:40分、告別式場を出発。
僕は喪主なので、霊柩車の助手席に座った。
膝の上に母の位牌を乗せている。
車の後部スペースには、たった今お別れした母が横たわっている。
久保山火葬場まで約30分弱と聞いている。
霊柩車の運転手は静かに車を走らせる。
不思議だなあと思う。
この数日間、母の臨終から葬儀まで、あまりにあわただしかったせいか、それほどの哀しさも感じられなかった。
ところが、車が信号待ちしている間、気がつくと、涙があふれている。
それも、とめどなく流れ出てくる。
幼かった頃に暮らした母とのさまざまな情景を思い出したからではない。
記憶をたどっていたわけではないのに、しらずしらず、静かに涙があふれでてくる。
7月12日、午前10時50分、母は息をひきとった。
98歳の死。
一般的にいえば天寿を全うした大往生、というべきであろうが、母は100歳まで生きたいとの強い望みを持っていたので、晩年の数年間は、死から遠ざかろうと必死だった。
すぐそこまで来ている死におびえていた。
しかし、徐々に衰弱し、2ヶ月前から食物を飲み込むことが出来なくなった。
目も開かなくなり、そのうち呼びかけても反応がなくなった。
数日間、ただ横たわって荒い呼吸をしているだけの母を見ていると、どういうわけか、「可愛いなあ」と思えて仕方ない。元気な時には気付かなかった母に対する新しい感情だ。
それは、「母」という肉親の情愛から生まれる感情よりも、一人の女性、もっと言えば一個の生物を見つめて生じる可愛さに近い。命が尽きようとして、ただの物質になりかけてる時に、人はこんなにも清浄なすがすがしさを身につけるのかとも思う。
最後は母が小さな子供に思えて仕方なかった。
棺の中の顔は、皺もない娘のような薄い桃色に満たされていた。
「きれいに化粧してもらって」とみんなは言ったけど、化粧のせいではないよ。
「体は消滅しても、耳は残ると言いますから、どうぞみなさんで最後のお声をかけてあげてください」と、斎場の係員がうながす。
僕は母の額に手をあてて、「お母さん、お疲れさま、ありがと」とだけ言った。
額のひんやりした冷たさが、別れの実感として掌に残った。
決して哀しくなんかないのに、涙が流れる。
信号の色が滲んできて、頬が濡れているのがわかる。
火葬場に到着する前に涙よ止まってくれよ、と思う。