年表
| 年 | 年歳 | 活動歴 |
|---|---|---|
| 1947年 | 0歳 | 3月4日、神奈川県横浜市神奈川区神ノ木台に生まれる。四人兄弟(姉二人、弟一人)の長男 |
| 1950年 | 3歳 | 父親の運次郎が進駐軍で働いていたために、家によく遊びにきていた米兵が、チョコレートやガムを置いていった |
| 1953年 | 6歳 | 西寺尾小学校入学。この頃から喧嘩蜘蛛の“ホンチ”に夢中になる。捕まえるのが大変で、学校ではホンチを持っているだけで尊敬された |
| 1955年 | 8歳 | マンガが好きで、マンガを描いて投稿したこともあった |
| 1957年 | 10歳 | 両親が離婚。母、姉弟と別れ、父と一緒に暮らすことになる |
| 1959年 | 12歳 | 錦台中学校入学 |
| 1960年 | 13歳 | 中学二年生の時に弘明寺の南中学校に転校 |
| 1961年 | 14歳 | 中島けいきょう先生に出会い、大きな影響を受ける。絵画や音楽、文学の話を聞き、徐々に表現するということに興味を持ち始める 卓球部に入り、三年生の時には神奈川県の大会で入賞した |
| 1962〜 1964年 |
15〜 17歳 |
中島先生を追いかけて神奈川県立神奈川工業高校木材工芸科に入学。授業にはあまり出ていなかったが、成績はよかった 生涯の友となる遠藤と藤崎に出会う。一緒にアルバイトをしたり、ジャズ喫茶に行ったり、無銭旅行したりして、さまざまな経験を積んでいく インダストリアルデザイナーの剣持勇をアポなしで訪ねた。深夜の帰宅まで待って作品を見てもらう。終電をのがし、翌朝の始発をホームで待った |
| 1965年 | 18歳 | 高校卒業。神奈川県立工業試験所に就職 藤崎に連れられて、大野一雄の舞踏を見に行き、暗黒舞踏の世界に出会う。大野の縁で、土方巽の舞台も見に行くようになる |
| 1966年 | 19歳 | この頃、「ハプニング」が流行っていたこともあり、夜中に真っ黒な布を敷き詰め、翌朝道行く人の驚く様子を撮ったりしていた |
| 1967年 | 20歳 | ためたお金で、マミヤの二眼レフカメラを買い、まわりにいる友人を撮りはじめる 「藤崎」(〜1968)を撮る。藤崎を撮影することによって自分自身を見つめていた |
| 1968年 | 21歳 | 試験所を辞める。所長室を訪れ、目の前にあった暗室の文字を見て、突然、写真家になる宣言をする 日吉の東京綜合写真専門学校に入学。課題の写真を酷評されて反発。学園紛争で、学校が封鎖されたことも重なり、二ヶ月で退学 六本木スタジオで働き始める。ライティングを学ぶため、スタジオにくるカメラマンのライティングをノートに書き留めた 元気な働きぶりが、「六本木スタジオの猛烈な若者」というタイトルで週刊誌に紹介された |
| 1969年 | 22歳 | 篠山紀信のアシスタントになる。カメラやレンズの本格的な使い方はこの時に覚えた 海外ロケに初めて同行、ハワイ、ロサンゼルス、デスバレーへ。また、写真集『オレレ・オララ』の撮影でブラジルへ。後に『週刊プレイボーイ』の仕事をもらう編集者小田豊二と出会ったのもこの時 |
| 1970年 | 23歳 | 「友よ」(〜1971)を撮る。友人の撮影を再開し、他人を被写体とした写真に、自身の存在を意識できるかを再確認したかった 「土方巽と大野一雄」を撮影。本格的に舞踏を撮るようになる |
| 1971年 | 24歳 | 矢代眞理子と結婚 アシスタントを突然辞めることになる。フリーの写真家として活動を開始 知り合いの編集者椎根和から『anan』の仕事をもらう。初仕事となる。三宅一生らと仕事をし、ファッション写真「PINK」を発表 被写体の顔をはずしたポートレート「首なし」を撮り始める 「殺しの場面」を撮る。テレビに流れる殺人の場面ばかりを撮影 |
| 1972年 | 25歳 | 編集者小田豊二の依頼で、『週刊プレイボーイ』にヌード写真を5回連載。どうしていいか分からずモデルに下剤を飲ませたり水中でヌードを撮影した。この頃から暴力写真家と呼ばれるようになる AD長友啓典の依頼でプレイロードポスターの撮影をする。初めて写真家としてやっていける自信をもった 「人形師シモンと10人の写真家」3月号 アサヒカメラ。石元泰博、篠山紀信、細江英公ら10人の写真家の中で最年少だった |
| 1973年 | 26歳 | ADC会員賞受賞/資生堂「シフォネット」雑誌広告 『話の特集』の編集者矢崎泰久から、カラー4ページ、モノクロ4ページの計8ページの仕事をもらう。一年間隔月で連載。「キッチン・シンク」1月号、「マナティ」3月号、「家」5月号、「近眼旅行」7月号、「お二階の食堂へどうぞ。」9月号、「グッド・バイ」11月号 「HUMAN SOCIETY〈投身者救助会〉」2月号、「HUMAN SOCIETY〈2〉」8月号 カメラ毎日。撮りためていた作品「学習院大学社交ダンス倶楽部」「釣り人」「ベッド」「首なし」をまとめて発表 いきいきとした表情のまま静止した動物の死体に魅せられて「剥製」を撮る 「世界の批評家が選んだ写真展」(米・ネイクルグギャラリー)出品 |
| 1974年 | 27歳 | 「ニュー・ジャパニーズ・フォトグラフィ展」(ニューヨーク近代美術館)出品。山岸章二とジョン・シャーカフスキーの推薦で「UNTITLED」(首なし)が展示される。 「UNTITLED」6月号、「グランド・キャニオン」8月号、「V.I.P.」9月号 カメラ毎日 |
| 1975年 | 28歳 | ハワイの日系人の写真を撮り始め、81年に『蘭の舟』をまとめるまで19回ハワイを訪れる ADC賞受賞/松下電器産業「ナショナルコンピュータストロボ」雑誌広告 『流行通信』の仕事を手掛ける 「新婚旅行」をまとめる。偶然写ってしまうエロチシズムを撮りたいと思い、宮崎県青島で新婚旅行中のカップルを撮る |
| 1976年 | 29歳 | 自律神経失調症に悩まされる 妻から犬を飼うことを勧められ、ジャーマンシェパードを飼い、犬の訓練に夢中になる ADC賞受賞/松下電器産業「ナショナルクーガー」「ナショナルミニミニ洗濯機」「ナショナルエアコンウィンド楽園」雑誌広告 資生堂「シフォネット(ゆれる、まなざし)」ポスター・新聞広告・雑誌広告撮影 西武百貨店(夏は、もう駈けだしている。)、『流行通信』ポスター 「十文字美信の世界」9月号 カメラ毎日。71年から76年までに撮影した広告写真の主なものが、20ページにわたって紹介された |
| 1977年 | 30歳 | フランスの写真雑誌『Zoom』で特集され、序文を寺山修司が書く 日本写真協会新人賞受賞/広告の仕事が評価される |
| 1978年 | 31歳 | ADC賞受賞/松下電器産業「Bongo」「ナショナルマイクロカセットポケットテレコ」「ナショナルテレビB&W」雑誌広告 資生堂『花椿』表紙写真 「ピクニック」10月号 The Meditation。過去の記憶や夢に現れた場面を映像化した ADC賞受賞/松下電器産業「ナショナルテープレコーダ STEREO MAC」「トランザム TransAm 3in1」「U—38」ポスター 「特殊技法の展開」(銀座・富士フォトサロン)出品 |
| 1979年 | 32歳 | ADC賞受賞/松下電器産業「テクニクステープ」ポスター・雑誌広告 「金のなる樹 布哇」をアサヒカメラに連載(6、8、10、11、12月号)。75年から撮り続けているハワイの日系人のドキュメント。後に作品集『蘭の舟』としてまとめる |
| 1980年 | 33歳 | 個展「蘭の舟」(銀座ニコンサロン)。第5回伊奈信男賞を受賞 ビクトリア&アルバート美術館「JAPAN STYLE」ポスター・カタログ、資生堂「インウイ」ポスター |
| 1981年 | 34歳 | 少数民族ヤオ族の犬祖神話が記された「評皇券牒」を追跡するため、当時危険だったタイ北部山岳地帯に入る。まだ精神的に弱っており、究極のショック療法であった。5〜6年間で7回訪れる 松岡正剛編集による美術全集『アートジャパネスク』のために尾形光琳作「扇面貼交手箱」を撮る。以後、日本の黄金美術に興味をもつ ドイツの雑誌『Stern』、フランスの写真雑誌『Zoom』に特集される。77年に続き2回目 パルコ(素肌、雪さらし)、西友ストアー「DIAK」ポスター 作品集『蘭の舟』(冬樹社) |
| 1982年 | 35歳 | ドイツ・ハンブルクBFF年度大会に藤井秀樹、藤原新也、横尾忠則らと共に招待され、「芸術と写真について」講演 忌野清志郎+坂本龍一「い・け・な・いルージュマジック」ポスター・雑誌広告、西武百貨店(ナンセンスな機械)CF 「北斗八星伝」をアサヒカメラに連載(3、6、10月号)。ヤオ族の犬祖神話が記された「評皇券牒」を追跡した写真を発表。後に作品集『澄み透った闇』にまとめる 美術全集『アートジャパネスク 琳派の意匠』(共著 講談社) |
| 1983年 | 36歳 | TDK「ビデオテープ」、シュウウエムラ化粧品ポスター 東京ディズニーランド新聞広告 「北斗八星伝(四)」5月号 アサヒカメラ 美術全集『アートジャパネスク 城と天下人』、『アートジャパネスク 庭園と離宮』(共著 講談社) |
| 1984年 | 37歳 | ソニーのステレオスピーカー「Liberty」のTVCFで、カンヌ国際広告祭フィルム映像部門で銅賞を受賞 パルコ(狩人か。旅人か。)、西武百貨店(うれしいね、サッちゃん。)ポスター・新聞広告・CF 新潮社「新潮文庫」、サントリー「サントリーオールド」ポスター・新聞広告 一竹辻が花運営委員会「一竹辻が花・光・風展」ポスター 作品集『KENTAUROS』(CBSソニー出版)。横浜のバイク集団ケンタウロスの創立20年を記念して作った写真集 |
| 1985年 | 38歳 | この頃、日本の伝統に写真がどう関われるかを考え始める。日本の美術品に共通しているものを研究し、「黄金」に辿り着く。以後5年間、ほとんどの時間を黄金美術の撮影のために費やす ADC賞受賞/フジテレビ「WORLD SPORTS FAIR’85」ポスター 松下電器産業「TUBE」、服部セイコー「MyCHANNEL」ポスター 大塚製薬「カロリーメイト」CF |
| 1986年 | 39歳 | ADC会員賞受賞/林原生物化学研究所の一連の新聞広告 岩田屋(私は、あなたの、おかげです。)ポスター・CF、ソニー「N・U・D・E」ポスター ユニー「生活倉庫アピタ(ロボット篇)」、西武百貨店(ピロボラス)CF |
| 1987年 | 40歳 | ・NTT「情報と文化シリーズ(進化篇、花かまきり篇)」CF 「BLOOD6」(銀座・松屋)出品 作品集『澄み透った闇』(春秋社) |
| 1988年 | 41歳 | 日産自動車「セドリック」ポスター・新聞広告 サントリー「サントリーオールド(ワンフィンガーツウフィンガー屋台篇)」、ニチバン「ニチバンセロテープ(健康篇)」、NTT「情報と文化シリーズ(打つ篇)」、日本中央競馬会「桜花賞、日本ダービー」CF 「The History of Photography-Art Form」に出品。ニューヨーク、サンフランシスコ、ロサンゼルス、東京に巡回 |
| 1989年 | 42歳 | 西武百貨店(胸が。)ポスター・新聞広告、六甲オリエンタルホテルポスター、ヴァージンアトランティック航空新聞広告、日本中央競馬会(今年も馬年篇)CF 赤坂ラフォーレ内に作品「一休」を展示 |
| 1990年 | 43歳 | シャープ「液晶ビジョン」「液晶14型テレビ」、ダイキン、レンゴー 新聞広告 作品集『黄金 風天人』(小学館)。黄金の美術品ばかりを撮影し、まとめる。国宝33点、重文63点を含め総数122点に及ぶ 個展「黄金浄土」(四谷・P3 Alternative Museum,Tokyo)。安藤忠雄の設計で仮設劇場を作り、仏像写真が立体的に浮かび上がる映像を上映 「Courtly Splendor(日本の王朝美術)」(ボストン美術館)。展示品の中から7つを選び、ソニーの協力を得てハイビジョン立体映像を作り、会期中Gund Galleryにて上映。 |
| 1991年 | 44歳 | 『黄金 風天人』で第十回土門拳賞受賞 西武百貨店「日本一の市」新聞広告 土門拳賞受賞記念個展「黄金 風天人」(銀座ニコンサロン) 「日本の写真 1970年代—凍結された『時』の記憶」(東京都写真美術館)出品 |
| 1992年 | 45歳 | サントリー「南アルプスの天然水(南アルプス少女篇)」、キリンビール「一番搾り(ヤキトリ篇)」CF |
| 1993年 | 46歳 | ADC最高賞受賞/富士写真フイルム「フジカラー写ルンです」CF ドイツテレコム企業広告「ノイエテレコミュニケーション」ポスター サントリー「南アルプスの天然水(南アルプス少女 初恋篇)」、キリンビール「一番搾り(月見篇)」CF 作品集『日本名建築写真選集 桂離宮』、『3D STEREO MUSEUM ポケットに仏像vol.1』、『3D STEREO MUSEUM ポケットに仏像vol.2』(新潮社) |
| 1994年 | 47歳 | アップルコンピュータジャパン「Macintosh」、キリンビール「一番搾り(枝豆篇)」CF 作品集『3D STEREO MUSEUM ポケットに黄金』、『3D STEREO MUSEUM ポケットに平等院』(新潮社) |
| 1995年 | 48歳 | JR東海(そうだ 京都、いこう。)ポスター サントリー「南アルプスの天然水(春篇)」、トヨタ自動車企業広告、服部セイコー「NOIE(石投げ篇)」、富士写真フイルム「フジカラー写ルンです(みかん篇)」CF |
| 1996年 | 49歳 | JR東日本「東北大陸から。」、服部セイコー「NOIE」ポスター JR東日本「東北大陸から。(森の学校篇)」、キリンビール「一番搾り(花火篇、いろり篇)」、富士写真フイルム「スーパー写ルンです(ピクニック篇)」、サントリー「南アルプスの天然水(夏篇)」CF 作品集『とんぼの本 桂離宮』(新潮社) |
| 1997年 | 50歳 | JRA、富士通「FM—V」ポスター・CF サントリー「南アルプスの天然水(山の神様がくれた水。)」、NTT企業広告ポスター |
| 1998年 | 51歳 | キリンビール「麒麟 淡麗(歌ってますか。)」、三和銀行企業広告ポスター ニコスカード、第一製薬「カロヤンアポジカ」CF |
| 1999年 | 52歳 | ADC会員賞受賞/サントリー「ウイスキー飲もう」CF キリンビール「麒麟 淡麗(ツマミは、太陽。)」、資生堂「エリクシール(さびない、ひと)」ポスター 『シアターガイド』(モーニングデスク)で「劇顔」の連載を始める |
| 2000年 | 53歳 | キリンビール「麒麟 淡麗(ノド、快音。)」、サントリー「ホワイトスーパークリーン(正直を笑うな篇)」、J—フォングループブランド広告、サントリー「南アルプスの天然水(さよなら篇)」CF インスタレーション「ZEN」(品川・T.Y.HARBOR THEATER)。資生堂香水「ZEN」世界発表のためのアートインスタレーションを開催。90年に作った安藤忠雄設計の十文字美信仮設劇場をもう一度構築した。 『十文字美信の仕事と周辺』(六耀社) |
| 2001年 | 54歳 | キリンビバレッジ「生茶(始まった篇)」、キリンビール「麒麟 淡麗(デビュー)」「クラシックラガー」、NTT東日本「優先接続対策(馬・鳥)」、サントリー「南アルプスの天然水(作戦篇)」CF |
| 2002年 | 55歳 | カメリアダイヤモンドポスター・CF、コカコーラ「ジョージア」ポスター 味の素「健康サララ」CF 作品集『わび』(淡交社) 作品集『KOSHIRO MATSUMOTO』(プレジデント社) |
| 2003年 | 56歳 | 資生堂雑誌企業広告、サントリー「BOSS(工事現場篇、ホテル篇)」CF 「わび」1月号 アサヒカメラ 「滝」を撮る。水に興味を覚えて、滝を撮り始める |
| 2004年 | 57歳 | 多摩美術大学グラフィックデザイン学科教授に就任 オルビス化粧品ポスター・CF 個展「Water Falls 落ちる水」(銀座・資生堂ギャラリー) |
| 2005年 | 58歳 | 大正製薬「ナロンエース」、理研ビタミン「ノンオイル(スプーン味見篇、サラダ篇)」CF 作品集『日本劇顔』(ぴあ)。舞台の楽屋や控え室で、開幕直前、閉幕直後の役者の顔を撮る キャノンEOS 5Dのための作品「おもかげ」を制作 |
| 2006年 | 59歳 | サントリー「ザ・サントリーオールドウイスキー(部屋篇)」CF 個展「本貌、ふたたび翳」(品川・キヤノンギャラリーS) 作品集『ふたたび翳』(十文字事務所) 『バルサミコ』(文化総合研究所)イタリアモデナで、ボニシマ社のバルサミコづくりを取材。小野田隆雄と共著 松岡正剛『千夜千冊』で各号の口絵写真を撮る |
| 2007年 | 60歳 | サントリー「金麦」、ソニー「VAIO(いい色に熟してますか篇)」、TOYOTA企業広告ポスター・CF ユニクロ「Wide Leg Jeans(朝篇、夜篇、カシミヤ篇)」、サントリー「南アルプスの天然水(練習篇)」「角瓶」、イオンクレジットサービス「イオンSuica」カード、大日本除中菊「キンチョール」CF 個展「風のごとく 本貌」(長野・脇田美術館) 作品集『感性のバケモノになりたい』(求龍堂) |
| 2008年 | 61歳 | 日本写真協会作家賞受賞 ユニクロ「JEANS&PANTS(ウエストライン篇、足首篇)」CF 個展「十文字美信 写真」(キヤノンギャラリー銀座)。『感性のバケモノになりたい』より、「グランドキャニオン」と「日本的」を展示 個展「十文字美信 写真」(六本木・富士フイルムフォトサロン)。『感性のバケモノになりたい』より、「友よ」から「滝」まで約70点展示 個展タイムトンネルシリーズvol.26「十文字美信展 写真に落ちていく」(銀座・クリエイションギャラリーG8、ガーディアン・ガーデン) 個展「métamorphose / BEYOND THE SENSES」(パリ・Track Artwork Factory) |
| 2009年 | 62歳 | 資生堂「エリクシールプリオール」で準朝日広告賞受賞 キヤノン 5D Mark Ⅱの動画機能を使って短編映画「さくら」を制作 キヤノン EOS 7Dを使用した動画作品「おわら風の盆」を制作。年末には「おわら風の盆」をフューチャーしたテレビ番組「その先の光へ―写真家十文字美信新たな映像世界への挑戦」がBS朝日で放映された |