鎌倉「GALLERY B」で「FACES II」展
やっと暖かくなったと思ったら、また寒さがぶりかえしています。これを繰り返しながら春が徐々に近づいて来るのが実感できるんですね。
4/15日から鎌倉の「GALLERY B」で写真展を行うことが決まりました。
期間は、4/15日4/16日〜5/30日です。
火、水曜日が休館日です。
展覧会の詳細は、僕のホームページの展覧会情報にアップします。
4/17(土)、17:00〜20:00に、簡単なレセプションをやりますので、時間の都合つく方は、ぜひ来館していただきたいです。
作品の内容は、2年前から取り組んでいる「FACES」の続きです。
今回の写真展のタイトルは「FACES II」としました。以前からずっと興味を持っている「顔」をテーマにして、写真の表現について、僕なりに追求してみました。まだ答えは見つかっていませんが、写真の表現領域の拡大に少しでも手がかりになればと思っています。
僕は現在62歳、そういえば、明日には63歳になってしまいます。何歳まで生きられるかわかりませんが、確実に人生の最後は近づいています。幸いにも、病に苦しむことは今のところありませんが、体力の衰えは実感しています。衰えのスピードを、努力することによって少しでも遅らせたいと考え、出来ることはやっていますが、にもかかわらず年齢を意識する機会が増えてきています。
そうなると、悔いを残さないために、やりたいことの優先順位をつけていかなければなりません。現在考えているものだけでも多すぎて、残された時間で仕上げることは無理そうです。それに、いままでの経験からいうと、作品を作りながら、途中でまた新しいアイデアが生まれてきます。所詮、満足いくようにはなりません。ですから、今、自分が一番興味を持っていることからやるしかないです。
僕は、ずっと以前から「顔」に興味を持っています。なぜ「顔」に関心があるかというと、普段不可視であっても、きっかけさえ与えれば見えるようになるものをたくさん潜ませているからです。言い方はいろいろですが、見えなかったものでさえも浮かび上がって来て、写真に写すことが可能になる特別な被写体なのです。そして、当たり前ですが、すべての人は「顔」をもっているし、表面にあらわれるものがあるという事実も、万人に共通しています。
通常、「顔」にあらわれるものといえば、「表情」があります。読んで字のごとく、その時の感情や心の変化など、内面が表面に浮き出したものです。可視化した一瞬をとらえれば、当然、写真に撮ることは可能です。表情は、生まれては消えていくものですから、気に入った表情を的確にとらえるには瞬間的な判断が必要です。俗にいう「シャッターチャンス」といわれているものです。ですから、すごく大雑把に言ってしまうと、優れた「顔」の写真は、一瞬の表情をとらえた写真だと思われがちです。僕はその「一瞬のシャッターチャンス」というものに疑問を感じていました。「顔」の表面にあらわれるものは、「表情」だけではないだろう。「顔」を表現するのに、一瞬でいいのか?と思っているのです。
疑問を抱いた最初のきっかけは、写真が発明された当初の、19世紀に写されたポートレートを見たときです。それらは現代の写真とどこか違います。撮影した写真家の上手い、下手の差はありますが、それらを差し引いても、あきらかに現代の写真家が写したポートレートとは異なる写真です。現代の写真とは違うものが写っているのです。あるいは、写るべきものが写っていないのです。
それは何に原因があるのだろうと考えた時に、「シャッターチャンス」の問題が思い浮かびました。100年以上前の写真を取り巻く状況は現代と違い、レンズは暗く、感光濃度は低いのです。したがって、当然ながら、シャッタースピードは遅い写真にならざるを得ません。当時の写真家にとって、われわれが信じているシャッターチャンスの概念は存在していないのです。2分、3分、あるいは光の条件次第では、もっと遅いシャッタースピードで撮影したでしょう。
もしも、一瞬の表情がとらえられないとしたら、彼ら、19世紀の写真師達は「顔」に何を見ようとしたのでしょう。「顔」に何を期待したのでしょう。あるいは、角度を変えて言うと、もしかしたら19世紀の人たちが気づいていなかったものが、残された写真の内に眠っているのではないか、現代の僕がかつてのポートレートから新しい要素を読み取る必要性があるのではないかと思っているのです。
現代のポートレートと違う要素が写っているとすれば、その違いの認識を正確に把握して、要素の細分化を試みたくなったのです。かつての写真では写らなかったものも含めて検討したいのです。
今回の僕の写真「FACES II」は上記の疑問から出発して、一応、中間報告できる状態にまで来たと思います。
写真に限らず、リアリティが複雑化している今だからこそ、写真が生まれた当初の作品を見つめ直し、そこから得たものを踏み切り台として、作品を作ってみたいのです。