97歳になった母がついに体調を崩して、救急車で運ばれました。
うつむいた途端に意識を失ったらしい。
ちょうど、事務所近くの店でスタッフと夕食を摂っている時に連絡があり、来る時が来た、と覚悟を決めました。
何しろ、年齢が年齢なので、頭の片隅にはいつもこのことがありました。

娘にも病院へ行くよう準備をしなさい、と家内に電話をさせ、食事を途中でやめて、タクシーを呼び、すぐに病院へ向かいました。

向かっている最中に頭の中をよぎるのは、不吉なことばかりで、あげくには、葬式のことまで考えていました。普段から、なんとなく思っているからでしょう。
家内とはあまり言葉も交わさず、タクシーの窓から見える高速道路の夜の景色を見ていました。
すると、姉から電話があり、母の意識が戻って、今は母が居住している「ヴィラ」へ向かっているからそちらへ廻ってください、との話でした。
事情がよく飲み込めないまま、とにかく言われたように急遽、母が住んでいる場所へ向かいました。


母は想像以上に元気でした。
もう、数年前から、僕のことが誰だかわからなくなっているので、顔を会わした時も「とんちんかん」な言葉を発していましたが、一応、元気だったのでほっとしました。胸をなでおろす、というのはこんな感覚かあ、とベッドの横の椅子に腰を下ろしました。

「お母さん!」と呼びかけると、びっくりしたように僕の顔を見返します。
掌を握ると、しっかり握り返してきたので安心しました。

「あんなにガタガタ揺れたら頭がふらふらする」「私だったからよかった」などと低い声でつぶやいています。

どうやら、病院へ運ばれる途中のストレッチャーのことを言ってるらしい。
「天神様に会って来た」などとも言う。
家内と姉と、3人で顔を見合わせて笑いました。
家内の眼には、うっすら涙が溜まっていました。

部屋に置いてある机の上に、折り紙の鶴と猿が飾ってあります。
母は折り紙が好きで、元気な時はよく折っていましたから、その中の一つなのかもしれません。
ちょうど猿が振り向いた瞬間のような格好の折り紙です。
なぜだか、猿の姿が滲んで見えました。


数年前、母は突然、お腹が痛い、と言い出したので、病院へ連れていくと、「胆嚢に石がある」との診断でした。それも、直径5センチぐらいのが3個、他に小さなものが数個ある、とのこと。「5センチですかあ?」とびっくりして聞き返すと、医師は「そうです」と答えた。「このまま放置していいのですか?」と聞き返すと、手術して取り除いた方がいいに決まってるが、年齢を考えると全身麻酔は避けたほうがよい、との答えだった。

快復して、食事に連れて行った時も、「鰻重」をぺろりと平らげて、帰りの車の中で、本当は「寿司」の方が好き、と言うくらいだから、ここまで生きてこられたのだろう。

不思議に思われるくらいツルツルな枯れ木のような腕、パンパンにむくんだ足首、見えている肌の奥のそこかしこに赤黒い痣が沈んでいる。
横になった姿は、「死」がすぐそこまで近づいて来ているのが僕にも感じられる。

今のうちに写真を撮っておかなければきっと後悔する。

 

 

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