「滝の行方」差し替えました。
長い間、ブログを更新しませんでした。
大学の卒業判定、入試判定、自身の作品展に出品する作品の作成、大学美術館での新しい試み、ギャラリーの今年の企画、それに加えて通常のCM撮影(海外ロケがありました)、さらに連日の珈琲焙煎が続いて、気になっていてもPCの前に座れませんでした。こんなささやかな文章でも読んでくださる方がいる間は続けようと思っているのに、反省しています。
現在開催している作品展「滝の行方」は、2月1日から後半の展示替え、のつもりでしたが、暗室作業が間に合わず、2/9日からになってしまいました。
もし、その間に展示を観に来られた方がいらっしゃったら申し訳ありません。現在は新しい展示も無事終了したので、ぜひご覧いただきたいです。
今回展示してる作品を撮影したのは2003年ですから、10年前になります。内容は、滝を撮ったものですが、水の動きに興味を持ったことから始まりました。
絵画、写真をはじめ、滝をテーマにした作品は数多くありますが、それら多くの作品に対して、以前から何となく不満に思っていることがありました。水の動きに対する解釈と描写です。
滝はどれもが岩壁の上部から下部に向かって水が落下することで出現しています。通常、その当たり前の現象で滝を観てしまいますね。滝を風景の一部としてとらえようとした場合は、水の動きは上から下へと見るだけです。
実際に滝を目の前にしてジッと見つめていると、水の動きはもっと複雑です。理由は、岩壁を遠くから見ていると平板に見えても、実際には壁に凹凸があり、水はそのデコボコに反応しながら落下しています。滝はとても複雑な水の動きの集合体で成り立っているのです。
その複雑な動きを捉えてみたいと思ったのが、滝の写真の始まりでした。
現場に行ってみると、もっと複雑な現象を体験しました。それは、落下する水を見つめていると、いつのまにか水の動きは静止して、左右の風景が上昇していくのです。「錯覚」と片付けてしまうのは簡単ですが、脳の中だけの想いではなく、もっと生理的な体験感に浸されます。長く見つめていると、そのうち気持ち悪くなり、それでも見続けていると、酔った気分に近くなります。僕は「滝酔い」と名付けて面白がってその現象に浸ります。
何度も何度も滝を撮影していると、風景として其処にあるリアリズムでは表現しきれない思いにかられます。自分が水になったような気持ちが近いかもしれませんね。外から滝の姿を眺めるのでなく、滝の中に入って行く感覚です。
山岳信仰で滝の水に打たれる「行」がありますが、共通する感覚でしょうか。
さらに滝行きを重ねているうちに、だんだん今までと異なった想いも浮かんできました。滝がセクシーに見えて仕方ないのです。女体というよりも、秘部そのものに思えるのです。
その感覚を確かめてみたのが今回の展示です。
滝について話し出すとキリがありませんから、興味がある方はぜひ一度僕の写真を見に来てください。
冒頭にアップした写真は、僕の好きな滝のひとつで、熊本県にある「鵜の子滝」です。