写真と珈琲のバラード(34)
9/16日に青山にある朗読スペース「本の場所」で話をします。
どのような経過で写真という目に見える作品になるのか、言葉にしてみようとする試みです。試み、なので、あくまでも実験的性格を要しています。「本の場所」の案内を開くとすでに満席になっているようです。たくさんの方、といっても25席で満席なのですが、この忙しい毎日のスケジュールのなかをやりくりして、わたしの話を聞きに来ていただくのですから、参加された皆様の少しでもお役に立つ話しが出来ればいいのですが、自信はないです。
「写真」は最も「説明」からは遠いところにあります。写真で写そうと思ったことを理解してもらうために言葉を尽くすと、やればやるほど写真から遠のいていきます。それを承知で、話をしようとしてるのですから、文字通りの自滅行為です。
時には、解っていてもやってみたくなる時があります。今回もそういう気持ちです。「うまくいかないよ」と解っていてもやるのは、聴取者を前に話すというのが、多分に「ライブ」だからだと思います。この時1回限りの、話し手である私と、聞きに来られた聴取者とが合同で作り上げる1夜限りの時間を楽しみにしてるからでしょう。
写真家が登場してナマの声で話す、というのはふだんはあまりないことですから(わたしの場合はですけど)、結果はどうなるのかわかりません。
写真について日頃考えていることを、あまり準備しないで話そうかと思います。結果はケ・セラ・セラです。やりたいことをやりたいようにやる。最近わたしが自分に言い聞かせていることです。