写真と珈琲のバラード(7)
朝の美味しい珈琲を飲み、豊かな気持ちになって写真について考える。
昨日(11/14)は早朝4:00に起きて撮影に出発。
写真集『常ならむ』に掲載する内では最も新しい作品になる「道」を撮りに南房総へ向かいました。
予定では今頃『常ならむ』は希望された方のお手元に届いてるはずでしたが、未だに「道」を探して撮影続行中ですから、刊行は来春になります。
「道」を撮った写真で直ぐに思い出すのは、ロバート・フランクが撮影したハイウェイです。いかにもアメリカらしい幅広い道路が地平線の彼方まで一直線に続いてる写真です。大陸を感じさせるスケール感が、何やら人生の道程すら想起させ、何重にも続く大きな起伏が、一筋縄ではいかない道筋を予感させる素晴らしい作品です。ここまでは私が鑑賞者としての言葉です。私は写真家ですから、創作者としての言葉もあります。そして自分にとっての「道」があります。
ロバート・フランクさんにとってはアメリカ大陸もハイウェイも、実際に自身の記憶や経験の光景であり切実なイメージも生まれる大切な現場でしょう。しかし、私にはアメリカ大陸も地平線まで続くハイウェイも体験として持っていません。後年アメリカへ行くことがあり、写真に写されてるようなハイウェイを目の当たりにして、「写真的だなあ」と憧れたことはあります。自分が写真家として、写真を撮る時に、憧れや希望やイメージだけではシャッターを切れません。写真は実際に存在する現場を被写体とする運命を持っていますから、撮影者自身が現場とどう関わるかの記録だと考えています。大雑把な言い方をすると、写真作品を撮る根底には、自身の体験、記憶、知識、興味等々から導き出された身体的な手がかりを拠りどころとしています。これら作品創作の根底にある手がかりは、時代と密接な関係を結んでいます。作者が生まれ育った時代はその時代の宿命があり、作者が変えることはできません、私は昭和という時代に生まれ、育ちました。戦後まもなく戦地から復員してきた父と必死に働いていた母との間で成長していきました。この時代と、私自身の身体に刻みつけられた痕跡が作品発生の原点です。
20代の最後の頃に四国の祖谷渓を旅行しました。雑誌『アサヒカメラ』に発表した「北斗八星伝」という作品を撮影するためでした。その撮影中、目的地もなく歩いている時、偶然細い一本道に出くわしました。真夏の暑い日です。空はあくまでも蒼く澄み渡り、ところどころ千切れた白い雲が浮かんでいました。道の中程の右側には、枯れて白い樹が斜めに突き刺さっています。誰が埋めたのか目的もわかりません。2~30m先は左に折れてその先は見えなくなり、しまいには土手の陰に消えています。畑と畑の脇に続く土の細い道でした。私は初めて来た土地であり、見たこともない道のはずなのに、なぜか懐かしい気持ちが湧き上がってきました。どこかで出会ったことがあるような、時空を超えた不思議な想いにしばらく立ち止まっていました。
昨年、『常ならむ』に掲載する予定の「白仏」を撮るため伊勢原市の七沢を歩いている時に、偶然、枯れ草に覆われた古い坂道に出会いました。なんの目的のために造られた道か解りません。その道を見た途端、先ほど記述した祖谷渓の土の道を思い出し、いっぺんに私の中で時空が入り乱れ、ワクワクしてきたのです。これがきっかけで私は私の「道」を撮ろうと思い立ちました。
九州、東北とみっちり私の「道」を探し続け、昨日は房総半島を歩いたのです。
冒頭にアップした写真は20代の頃に撮影した祖谷渓の道。
最後にアップした写真は先月秋田で撮ったものです。