パリ滞在最後の日
ついに今日がパリ滞在最終日になってしまいました。
こちらに到着したのが7/6でしたから、ちょうど3ヶ月です。
パリ→ロンドン→パリ→ベルリン→ミュンヘン→パリ→キエフ→パリ→ロンドン→パリ
その間のスケジュールですが、当初はこれに加えて、オランダ、オーストリア、スイス、ベルギー、イタリアまで訪ねる気持ちでいたのです。
とんでもなかったです。
今回の日程ではこれが限度でした。
写真が生まれた場所へ行き、その空気を吸ってみる。
写真術誕生の事情を調べ、発明当初のオリジナルプリントや銀板を見る。
博物館、美術館、コレクターなどを訪ね、19世紀から20世紀にかけての初期写真を見る。
これらの目的は果たせました。
何しろ当地へ行かない限りは目にすることは出来ませんから。
成果はこれからゆっくり熟成して、答えを発表する機会を作ります。
後半の2週間余りは、連日カメラを持って出かけました。
僕にしては珍しいくらい写真を撮ったので、きっと光と影に感じるものがあったのだと思います。
いつもはジーッと見てるだけで、シャッターボタンを押さないで立ち去ることが多いのに、気がついたら、300回ぐらいはシャッターを切ってました。
それでも気に入った写真は3枚もないと思います。
僕は今でも仕事以外の写真は相変わらずフィルムを使います。
デジタルを使わない最も大きな理由は、デジタルだとその場でわかってしまうからです。
今回撮影した写真も、まだ未現像のままカバンの中に入ってます。
どんな風に写ってるのか、帰ってみなければわかりません。このわからない間に、撮影した光景が何度も何度も記憶の中で行ったり来たりします。
もう僕の手から離れてしまってるのだから、思い出しても仕方ないのですが、この思い出す時間がとてつもなくワクワクします。その時のその瞬間に僕が居た場所、角度、光、フレーム、速度、露光、距離、深度など、あらゆることを思い出します。僕は光の測定に露出計はもちろん使いません(カメラ任せでなく自分の感覚で決めます)。
その方が正確だから。
ピントも合わせないことが多いです。
ボカしたいのでなく、目測で撮ることが多いのです。もちろんスナップする場合ですが。
時には、わざと自分でも何を撮ったのかわからないようにして撮ります。これは説明するのが難しいのですが、究極的には自分を信じていないところがあるからです。自分の感覚の限界を超えたいために写真を撮ってるのですから、何処かでは必ず自分の理解を超えるための方法を混ぜていきます。
デジタルのように、方法が便利になってくると何でも出来るように錯覚しがちですが、実は案外その反対で、出来ることは想像する範囲から始まってるのです。理由のないものはそこから発展の仕様がないのですね。
僕は自分が理解できないことに惹かれます。
そこには「未知」というまだ経験してないものが横たわってるから、それでワクワクします。
これからアパートの部屋を片付けて、退出する準備をして、それからちょっと出かけます。