照明名人佐野武治さん

3月4日の昼、サントリー「角」のスタッフより電話が入り、「十文字さん、その声ではまだ知らないでしょ?」と言われ、そこで佐野武治さんの訃報を知った。
スタッフの声は泣いていた。
午前中、京都の知人からしきりに電話が入っていたのだが、仕事をしていて電話に出ることができなかった。
午前中、入院先の病院で亡くなったと聞き、言葉を失った。
残念です。

2月15日、「キンチョール」のTVCFの撮影を一緒にしたばかりだったのですが、それが佐野さん最後の現場だったと聞きました。
とても残念です。
それ以外の言葉がみつかりません・・・。

佐野さんの照明技師としての評価は、国内だけでなく世界的にもトップクラスでした。
映画の世界に関係する人では知らない者はいないほど、名実共に頂点の人です。
特に、黒沢明監督の作品が有名です。「影武者」「乱」「夢」「八月のラプソディー」「まあだだよ」など、「影武者」以後、晩年の黒沢作品のすべてにわたって、照明を担当しました。

黒沢監督がサントリーウィスキーのCFに出演者として登場した折、カメラマンの宮川一夫さんから頼まれ照明を担当したのが縁で、それ以後黒沢作品に関わるようになったと話されていました。
佐野さんは、映画の照明技師として有名ですが、実はTVCFの仕事もたくさんこなしていました。
僕と佐野さんとの関係は、僕が撮影するTVCFの照明をお願いすることから始まりました。

1977年、篠田正浩監督が水上勉さん原作の「はなれ瞽女おりん」を映画化しましたが、撮影は宮川一夫、照明は佐野武治というスタッフでした。
当時、その「はなれ瞽女おりん」を映画館で観て、あまりの照明の技術の高さに僕は感動してしまいました。
宮川さんの撮影も素晴らしいものですが、僕が心を奪われたのは、岩下志麻、樹木希林演じる瞽女さん達の肌の色です。真冬の北陸を裸足で歩く時の瞽女の足の冷たさを、実に美しい肌色で表現されていました。
これほどの照明技術を持っている人と一緒に仕事をしてみたい、と考えたのです。そして、サントリーウィスキーのCFで、ついに照明を佐野さんにお願いしました。

「スチール写真のカメラマンと映画のカメラマンとでは、光に対する考え方が違うんだよね」
最初に仕事をさせていただいた時の佐野さんのきつい一発でした。

佐野さんの照明の特徴は、なんといってもフィルターワークです。
色彩に関して、誰も真似できない独特の感性を持っています。

「画家は最初に白いカンバスに絵の具を置きますが、僕は黒いカンバスに光を当てます」

佐野さんの想像力は、黒々した闇から出発してるのですね。
「十文字さん、真の闇を撮るとしたら、どう撮る?」と聞かれたことがありました。答えを考えていると、「本当の黒い色を出すには、ライトに赤いフィルターをかけるのです。黒にも厚みがありますから」「映像というのは、Yの色味が大切です。普通は嫌がるけど、Y味がない映像は軽くて駄目です」
夏を表現しなければならない撮影の時、暗部を当てるライトに佐野さんはGのフィルターをかけていました。
何故ですか?と質問したら、「夏は木々の緑が反射してるのです」と答えられました。

僕は佐野さんと一緒に仕事をする時、しばらくの間、メモをとっていました。照明の方法も勉強になりましたが、何よりも感心するのは、僕には考えられないフィルターを使うからです。そして、ことごとく仕上がりが美しい。すべてのライトに、ご自分で作られた「S」フィルターを巻いてライティングをされました。

イタリアの名優、マルチェロ・マストロヤンニを撮影するため、佐野さんと一緒にローマへ行った時のこと、ギャファー、グリップは地元のスタッフをお願いしました。撮影も無事終了した瞬間、イタリア人スタッフは、佐野さんに抱きついて、一緒に仕事を出来たことの喜びを口々に表現していました。

昨年、サントリーウィスキー「山崎」の撮影をしていた時、佐野さんから言われました。
「フランスから頼まれてる仕事があるんだけど、十文字さん、撮影お願いしていいかな?6月頃だけど」
僕は即座に答えました。
「もちろんやらせてください、佐野さんの頼みなら、なんでもやります」
佐野さんから撮影を依頼されたことが、僕は嬉しかった。
最後に入院された病室でも、その仕事の話をされていたらしい。

3月6日、ご家族だけで通夜がおこなわれました。
僕はどうしても最後のお別れをしたくて、迷ったあげく、通夜の式がおこなわれる宇治の斎場へ行きました。
ご迷惑と思いましたが、物陰でもいいからと・・、近くにいたかったのです。
暗い空から音も無く細い雨が降っていました。宇治霊園斎場は、その時、他には式がなく、佐野さんだけの時間でした。
ご家族のご好意で、最後のお別れができました。
とてもきれいで小さなお顔でした。
頭の横には、「Peace」の紫の箱が置いてありました。

享年80歳、最後の最後まで現役。
照明名人佐野武治さん大往生です。

心からご冥福をお祈りします。


6 Responses to “照明名人佐野武治さん”

  • 寺西昭博と言います |

    覚えて頂いてるか、わかりませんが、いっとき十文字さんにセカンドさせていただきました寺西と言います。
    手短に話をしますと、僕は22年前わたしが、19歳の時の始めての撮影現場が佐野さんでして、当時は佐野さんのことは、まったく知りませんでした。
    黒澤さんの作品は大好きで、見まくってましたが、19のガキが照明技師の存在も分かるはずがなく、ただのおじちゃんのように思ってました。
    が、今だに明確に覚えているんです。
    それから、僕は佐野さんの虜になってしまいました。
    十文字さんの現場で、佐野さんに何度も会って、すごく嬉しかったんです。
    そして、一本立ちして、いつか佐野さんにお願いできるくらいの人間になるのが夢で、ずっと、思い続けてました。
    昨年の10月に夢にまでみた、佐野さんと仕事ができました。
    ホント、夢だったんです。
    十文字さんの、ブログを読んで、また泣いてしまいました。
    もっともっと、佐野さんと一緒にいたかった。
    もっともっと、お話聞きたかった。
    ……………
    今、また、パニックになってます。
    すいません。

    • Bishin |

      寺西さん、連絡ありがとう。
      佐野さんの訃報は本当に残念です。
      寺西さんのように、佐野さんと出会った時の感動や、一緒に仕事をした時の素晴らしさを多くの人が書き込んでくれたら、うれしいです。佐野さんは笑ってるかもしれませんね。

  • 寺西昭博と言います |

    十文字さん、ありがとうございます。
    十文字さんと佐野さんの現場でかなりのインパクトがあった現場がありまして、12.3年前でしょうか、監督と俳優さんがもめてる時に、お二人が釣りゲーム(液晶画面とリールがついてるゲーム)で遊んでらしたのがかなりの刺激的で、この人たちスゲーな、と思いました。
    もっと言いますと、羨ましかったです。
    佐野さんとこんなに仲が良くて羨ましかったんです。
    僕もいつかはと思い続けてましたが、無理でした。
    佐野さんのこと、ホントに好きだったんです。
    僕にとっては、アイドルでした。
    残念でなりませんが、天国で笑っていただいてたら、
    ホント、嬉しく思います。

    • Bishin |

      覚えています。そんなこともありました。
      佐野さんとは20年以上のお付き合いでしたので、思い出すことはたくさんあります。仕事の現場では、やはり、色に対する感覚の鋭さに感動しますが、ライティングに関してはバウンスの使い方です。コマーシャルのライトマンはディフューズを多用しますが、佐野さんはそのような時でも、バウンスを使います。基本的に光を殺すことを嫌がります。特に、狭いスペースでライティングしなければならない時に、さながらそこに光源があるようにレフ板を使って効率よく光を当てます。ディフューズすると光が柔らかくなるぶんだけ、色味もぼんやりします。やはり佐野さんは「色」をとても大事にしたのだと思います。そういう佐野さんの光に対する思いに、僕も惹かれていました。もっともっと教えていただきたいことがたくさんありました。

  • 小出肇です。 |

    小出肇です。CM監督です。現在は、大学の先生もしています。
    十文字さんと、佐野さんで「田中裕子さん」主演で中国・チャイナ向けのCMをご一緒させていただきました。
    大阪の編集立ち会いにも来ていただき「のーぱん・・・」の
    「吹き矢ショー」をご一緒させていただきました。
    佐野さんの件、大ショックです。

    • Bishin |

      小出さんお久しぶりです。
      コメントありがとうございます。その折はお世話になりました。こういうことになってみると、最後の最後まで、佐野さんと仕事でご一緒できたのが、私の大切な思いでであり、大きな財産になりました。佐野さんの現場は、いつでも勉強させられることが多かったです。もう仕事であのライティングが見れないと思うと残念です。

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