写真と珈琲のバラード(8)

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先日撮影した房総半島での「道」で、写真集『常ならむ』掲載のための撮影行は終了。予定より3ヶ月ほど遅れたが、昨日から写真のセレクトを始めました。

以前にも書きましたが、『常ならむ』は6章で構成するつもりです。掲載作品中、最も新しいのは「道」です。これは記憶の底に降りて行き、茫漠として焦点が合わない風景にピントを合わせる試みです。過去を思い出そうと時間軸に沿って記憶を遡っても、いつの間にか思い出の闇の中に消えてしまいます。私の場合は、切れ切れ、断片的にですが、幾つか鮮明な映像が残っています。その残った映像を手掛かりに私の「道」を探します。

私が小学校の5年生かその次の年だったか、正月、東京に大雪が降りました。その頃は横浜の神之木台という場所に住んでいました。正月元旦、母と弟と3人で東京笹塚にあった叔父の家に行ったのです。両親が不仲になり、母は身の振り方を相談したのでしょう。叔父の家を出て、バス停から渋谷行きのバスに乗り込みました。正月の為か、車内は乗客で身うごきとれない状態です。今から思うと、代々木公園の下、富ヶ谷あたりの停留所だと思いますが、そこで客が一気に降りたために私も掃き出されるような状態でバスから突き出されました。雪でグチャグチャになった道に転んでしまい、モタモタしてるうちにバスは私を置いて走り出してしまいました。

今と違って昭和30年の頃は、例え横浜からでも子供が東京へ行くことは滅多にありません。私にとっても東京はその時が確か2度目だったと思います。まだ戦後の殺伐とした空気が残っていました。大都会で怖いところ、というイメージしかありません。母は弟を背中におぶった格好で後部座席の窓に顔を近づけるようにして何か叫んでいます。そのまま遠ざかって行きました。その場所から動くな、迎えに行くから、とでも叫んだのでしょう。私は履いていた長靴を脱ぎ、ひとつずつ片手に持ってバスの後を追って走り出しました。知らない場所で一人立っているよりも、バスの後を追ったほうがいい、と判断したのですね。雪の道にくっきりと残った二本の轍の跡を見ながら、泣きそうになってバスの後を追いました。

私にとって鮮明に思い出される道は、くっきりと二本の轍がついた見たこともない道です。

昨日は掲載予定の作品から「残闕」の写真をセレクトしました。最終的に残ったのは44点。冒頭にアップしたのは作品「残闕」のあれこれです。「残闕」について何か書こうと思ってるうちに、以前に書いたかもしれない「道」になってしまいました。


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