ウクライナ「Japan Mania」展報告

p1
p2

9/13~15日のウクライナでの展示が終わり、パリのアパートに帰ったところです。

ウクライナ日本センターからの招聘があったのが7月末でした。
そこから展示実現までは、怒涛のような日々で、無事に終わってこうして振り返ると、まったく夢のようなキエフでの数日間でした。
ウクライナ日本センターが主催した「ジャパンマニア」展は今年が2回目で、ウクライナの人々に日本の文化を紹介するフェアーです。

p3
p4

巨大な会場にブースを作り、それぞれ音楽、茶、書、合気道、料理など、さまざまな工夫を施し、ウクライナの人達に日本の文化の一端を楽しんでもらおうという試みです。
昨年は2日間で約1万人の入場者があり、ウクライナの人々がいかに日本の文化に関心があるかわかります。
今年は3日間の会期中すべて雨でしたが、昨年に匹敵する、あるいはそれよりも入場者数は上回ったようです。


写真ブースは僕だけの作品展示で、天地2m余り、左右25mの壁をコの字にした空間です。
「文化紹介」という趣旨なので、展示する写真は最新作「残欠」11点にしました。
8x10インチのフィルムで撮影したネガをデジタルに取り込んで、インクジェットで出力しました。
自分手ずから焼くオリジナルプリントではなく、サイズの大きさを優先しました。
「残欠」とは、完成された像が長い年月のうちに、炎にかかったり破壊されたり、白蟻やネズミなどの小動物に囓られ、あるいは湿気、黴、風雪などで元の姿をとどめなくなった仏像の断片、もしくは不完全な仏像です。
特に「金剛力士像」に焦点を絞りました。

今回の展示は、連日1時間の講演が要求されていたので、資料をつくるため「金剛力士像」の研究文献を当たってみましたが、あまり適切なものがありませんでした。
仏像界の中で、如来や菩薩に較べてヒエラルキーが低いのと、安置されているのが山門や中門であるために傷みが激しく、オリジナルのままの姿をとどめてる像が少ないためか、研究者には人気が無いようです。
しかし、撮影する被写体としてはむしろ他の仏像よりもふさわしいと僕は思っています。


鎌倉時代は、それまでの天皇を中心とした貴族が権力を握っていた時代から、武士が登場した時代です。それによって表現の方法が一気にリアリズムの考え方になっていきました。
僕はこのリアリズムに着目したのです。
数多い仏像の中でも「金剛力士像」だけは、独特な姿を現しています。
別名「仁王」ですね。
阿像、吽像という左右2体の形式、上半身裸で物凄い表情で威嚇しています。
何と言っても特徴は力強い体躯の動きと骨格や筋肉の表現です。浮き上がった血管の表現まで忠実に再現されています。
ところが、です。

今僕は「忠実に再現されています」と書きましたが、「金剛力士像」に注目した当初は人間の体躯、筋肉や血管の浮き出た様子を忠実に彫刻したのかと思っていました。つまり人間そっくりに造るリアリズムだと思っていたのです。
鎌倉時代の仏師は違うのです。
人間にはあり得ない筋肉表現、あり得ない体や腕の動き。
理由がありました。
彼らにとってのリアリズムは目に見えるリアリズムではなく、イメージをいかに目に見える形にするかのリアリズムなのですね。


金剛力士の役割は、侵入してくる悪霊から仏教世界を守る役割を担っています。
人間を超えた超能力を備えた存在でなければなりません。
ただの人間ではないのです。
「金剛力士像」は、人間を忠実に表現したのではなく、この世に存在しない超能力者を、いかに存在するかのように思わせるリアリズムなのです。
ミケランジェロが活躍したイタリアルネッサンスよりも250年前のことです。

「金剛力士像」の源流は「執金剛神」だと言われています。
しかし「執金剛神」は甲冑を身に纏っていますし、独尊です。
どうもそれだけでは括れない要素がありそうです。ギリシャ神話のアトラス、ヘラクレス像あたりの表現が、ガンダーラで紛れ込んだのではないか、とも考えています。
飛躍した想像ですが、可能性はありそうです。

だいたい以上のような内容を特設会場で講演しました。
参加した聴衆の興味から考えると、話の内容が専門的過ぎて思いっきりハズした気がしましたが、最後までやり切りました。
翌日わざわざ僕を訪ねて来て、自分は昨年トルコの博物館で石像を見て来たが、あなたの考えを支持したい、と言う若者もいたので、今回はこれで良かったと思っています。

この作品は早稲田大学と大正大学で仏像修復の授業を持っている櫻庭祐介先生の協力で展開しています。
まだ始まったばかりですが、この先どのような結果を出して行くのか自分でも注目しています。

文頭に添付した写真のメモは、鑑賞者の感想の一部を通訳のオリガさんが日本語に訳してくれたものです。

 

2 Responses to “ウクライナ「Japan Mania」展報告”

  • 小川幸子 |

    十文字さんの近年の作品に共通して、いつも、感じるのは『時間』です。すいません、月並みな言葉で。ウクライナでの作品展、素晴らしいと思います。伺って無いのに、独断みたいで申し訳ない感想ですが、多分、そうなのです。東京でも
    拝見出来ないですか!、、、ギャラリーbが有りますね、まず。

    • Bishin |

      小川さんコメントありがとうございます。お一人でも読んでいただいてると思うと、ブログを続ける気力が湧いてきます。
      この作品は、地震で倒壊し、破壊された仏像をボランティアで修復している櫻庭先生という方を知ったことがきっかけです。完全な姿であった時には見えなかったものを、残欠になったがゆえに感じました。僕が写真を撮ることで、仏教世界の話だけにとどまらず、写真やアートの舞台に上がって、より多くの方々に仏像に興味を持っていただき、また、この地震で発生したさまざまな出来事の一つ一つを、自分なりに記憶しておきたいと思っています。
      講演で話したことをそのまま書いちゃいました。
      小川さんのおっしゃるとうり、ずっと「時間」の表現に興味を持っています。デビューした時からです。来年日本でも発表するつもりです。その際はぜひご覧ください。

permalink :

trackback :