ベイシー

平泉中尊寺の僧侶、菅野成寛師のことを書いたので、東北にいるもう一人のすごい友人のことを話したい。
一関のジャズ喫茶「ベイシー」のマスター菅原正二さん(通称ベイシー)だ。
ベイシーにまつわるおもしろい話には事欠かない。
すでに伝説的な男だ。

「ベイシー」の店で放たれる「音」を聞くために、全国のオーディオファンが訪れる。

カウント・ベイシー本人から”Swifty”のニックネームをもらう。
JBLの社長以下、同社の有力な技術者が「ベイシー」のサウンドを聴いて言葉を失い、それから毎年通ってくるという。
文章の達人であると同時に、写真にも才能を発揮する。等々。
ベイシー本人の詳しい履歴は、彼の著書『ぼくとジムランの酒とバラの日々』を読んでください。
この本はめちゃくちゃおもしろい。

ベイシーのことでは書きたい話がたくさんありますが、一つだけ、いかにも僕がベイシーらしいと思うエピソードを紹介します。

僕がベイシーと初めて会ったいきさつは、中尊寺金色堂の撮影許可を得るために、当時、松下電器宣伝部にいた斉藤さんから紹介されたのです。かれこれ25年ぐらい前のことだったと思います。
確か、中尊寺執事長とベイシーが高校時代の同級生だったので、そのつてを頼りに中尊寺に行ったのです。
撮影に関することで、何度も中尊寺を訪ねたので、帰りには決まって「ベイシー」に寄って行くようになりました。
ベイシーとはすっかり気が合い、店が終わってからもすぐに別れがたく、一関駅前のスナックで飲むのが当たり前になっていました。

ある冬の寒い日のことです。
「ベイシー」が閉店してからいつものように駅前のスナックに行こう、と外に出ました。
前日から降り続いてる雪が、膝下ぐらいまで積もって、歩くのは難儀だからタクシーを呼ぶことにしました。
車に乗り込み、後部座席に二人で並んで座っていました。
その時点で、すでに結構飲んでいたのです。
飲屋街が近づいてきて、交差点の赤信号でタクシーが停止した途端、僕が言いました。
「あ、今日はここで別れよう、ちょっと飲み過ぎた」
ドアを開けてもらい、雪がちらついてる外に出ました。
すると、ベイシーも一緒にタクシーから降りて来るではないですか、しかもニヤニヤしながら。
怪訝な目でベイシーを見ると、彼はこう言ったのです。

「十文字さん、今、シャッター切ったでしょう」

僕はしばらくベイシーの顔を見つめて、そのうち笑い出しました。
「いやあ、参りましたね」
ベイシーの眼力に恐れ入りました。

どういうことかというと、赤信号でタクシーが停止した時、右側の路地に目をやると、白いドレスを着た女性が見えたのです。「白鳥」と書かれた店のネオン看板の灯りが消えた瞬間でした。看板を取り込もうと、今まさに女性がしゃがんだところでした。
咄嗟にスナック「白鳥」のママが、店を閉める準備をしているのだな、と思いました。
僕は、閉店間際のスナックに入るのが好きです。
何故かというと、その時分のママは、半分は本名になりかかってるからです。気持ちはもう閉店になってしまい、ママから本名の自分に戻りかかってるからで、そういう時には初めて会った客とママでも、案外打ち解けた会話をしやすいのです。行きずりであればこそ、なおさらです。
白いドレスからむきだしの背中を見た瞬間、これから「白鳥」で一人ゆっくり飲もう、とベイシーにサヨナラを言ったつもりでした。ところが、敵もさるもの、見逃さないですねえ。
しかも、「十文字さん、シャッター切ったでしょう」という言い草には、ほとほと参りました。
まさに、心のシャッターを切ったところだったのです。

その夜は、深夜まで、じっくりとママの人生の悩みを聞きまくりました。
聞き役はベイシーの独壇場でした。

また二人で「白鳥」を探して、あの時のように飲みまくりたいね。

 

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